さあ、いよいよ世界のノド山頂への登山だ。
道を吹き荒れる風は、晴天の空のシャウトで払っていく。
それでもなお道は雪深く、狭くて危なっかしい。ここから足を踏み外したら、文字通りの真っ逆さまだ。世界へ向けて落ちていくことになる。
険しい道に橋があるのは正直意外だった。グレイビアード達が架けたのだろうか。
いずれにせよ、下を見て渡ってはいけない橋だな。
門を過ぎてヤギが数頭見えた以降は、標高が上がるにつれてまともな生き物の姿はなくなっていた。
私達を待ち受けるのは、氷の精霊くらいだ。
しばらく行くと、眼下に白樺の森が見えてくる。
もしかしてリフテンの林だろうか。イバルステッドの村があんなに遠くに見える。
向こうに見える山脈も、名前はわからないが大した景色だ。それでも世界のノドの方が標高が高いのか。
この山に登ると、本当に世界を見下ろせるのだな。まるで孤高の王にでもなった気分だ。
晴天の空のおかげで、山頂は気持ちよく晴れていた。
向こうに見えるのは、言葉の壁だろうか。もしかして、何かシャウトが書かれているかもしれない。
壁へ向かって勇み足となった私の頭上に、黒い影が差した。見上げると、ドラゴンだ。
ドラゴンは重々しく大地を揺らし、私達の前に着陸した。そして自己紹介だ。まるで人間のように。
彼は自らをパーサーナックスと名乗った。パーサーナックスはドラゴンだったのだ。それならば、神話の時代から今まで変わらず生きてこれたのも不思議ではない。
エリクにとっても、初対面のドラゴンがパーサーナックスとは思いもしなかったろう。目の前にいるドラゴンは、カイネとともに人間にシャウトを教えた人類の大恩人なのだ。
興奮のあまり、こちらの自己紹介が遅れてしまう。
グレイビアードからの紹介で来たと告げると、パーサーナックスは自分が年老いているがゆえに、博識だと思われているとこぼした。
しかしそれだけでは彼の邪魔をしに来た理由にはならないという。
しかし詳しい話の前に、彼はより正式な挨拶の作法を私に要求してきた。彼は私を「ドヴ」を呼ぶ。ドラゴン語で「竜」という意味だ。つまり彼は私を、アルゴニアンではなく同じドラゴンとして見ている。ドラゴンボーンとはすなわち、ドラゴンの姿をしていないドラゴンのことなのだ。
パーサーナックスは、言葉の壁へ首をもたげた。この言葉の壁は、何も刻まれていない無地だ。しかし彼が壁に向かって炎を吐くと、壁に輝く言葉が刻み付けられる。
パーサーナックスは炎ではなく、シャウトを壁に向かって吐いたのだ。壁には「ヨル」の文字。
もしかしたら、これは私が最もあこがれていたシャウトの言葉の一つかもしれない。
ドラゴンと言ったら炎の息だ。これまでいくつものシャウトを学んできたが、炎を吐きだせるシャウトは一つもなかった。
ドラゴンボーンの力に感謝する。私は何の苦労もなく、パーサーナックスの力を借りて、その言葉を理解した。
「ヨル」
それは、ドラゴン語で「火」を意味する。
私のシャウトのお返しを受けて、パーサーナックスは喜んだ。
同じ種族の者と話したのは久しぶりという。こちらこそ、同じドラゴンとみてもらえて嬉しいものだ。
こうして対面して、まともにドラゴンと言葉を交わせるのもありがたい。これまでのドラゴン達は、私を挨拶のシャウトで焼き殺したり氷漬けにしようとする相手ばかりだった。
私達はようやく本題に入る。
しかしパーサーナックスも、ドラゴンレンドについては知らなかった。いや、存在を知ってはいるが、教えようがないという意味らしい。
なぜならそのシャウトは、人間達が作り出したものだからだという。
奇妙なことだ。
ドラゴン語のシャウトでありながら、当のドラゴンが理解できない概念の言葉から成るという。
彼はは逆にこちらに質問した。なぜそのシャウトを習いたいのかと。
それはアルドゥインを倒したいからに他ならない。
なぜ倒したいのかと問われれば、彼が破壊しようとするこの世界を壊されたくないからだ。この世界のノドから下界を見下ろしてみれば、その理由が分かる。仔細を見れば人間達がのさばってあれやこれやしているが、総じてこの世は興味深い。旅して回るのはことのほか楽しいものなのだ。
彼はこの答えを気に入ったようだ。
しかし彼はさらに問いかける。
アルドゥインは世界を終わらせる役目のために作り出された存在だ。その彼が世界を終焉に導こうとしているのなら、それは次に生まれる新しい世界のためではないのかと。
それはそうかもしれないが、新しい世界は私達には想像もつかないものだ。いつ来るともしれず、そして決して見ることのできない世界だ。そうした世界に、古い世界に生きる私達が何をしてやれるだろう。
新しい世界では、その世に生まれる者達が十分うまくやるだろう。かつて古い世界に生きた者達があがいたのと同じように。
結局のところ、終焉がいつ来るかなど、ドラゴンすらも分からない。
目先の利益で動く正直さも、時にはいいのかもしれないな。
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